正しい選択 −結婚相手を選ぶにあたって神の御心を見分けるには   タイトル・ページへ

ビル・ストーンブレーカー著

 

第10章

 

準備ができているルツ

 

ルツ記3章の話に戻ろう。ルツとボアズは互いに紹介しあい、ビビッと来るところがあった。相性がぴったりだ。ボアズはルツのことに気を配り、彼女の幸せに気配りし、ルツは感謝と不思議な気持ちでボアズに応答している。姑のナオミのところにルツが戻ってきたとき、どうなるか見てみよう。

 

しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。(3:1-2

 

ナオミはルツに明かす。「この方は私たちの親戚の一人です。彼はあなたのことが好きで、あなたも彼のことが好きなことは分かっています。彼は今晩打ち場で大麦をふるい分け(殻と穀粒部分を分ける)をしようとしています。」ナオミは続けている。

 

あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてからはいって行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」(3:3-5

 

この時点までは、ルツの美しさは「内なる隠れた部分」の美しさだった。ペテロの第一の手紙3章3−4節にはこう書かれている。「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」ルツの内面的な美しさに気づいていたが、ここでナオミはルツに、ボアズのために準備するように勧めているのに注目してもらいたい。ルツは外面を美しくするように勧められている。

 

「美しさも皮膚一枚の薄っぺらなものにすぎない」という表現をみんな聞いたことがあるだろう。それは確かにそうかもしれない。もし体の外見だけに時間をかけるのであれば、その女性はとても中身のない人になるだろう。しかし、醜さもまた皮膚一枚の薄っぺらなものにすぎない。もし女性が自分として最高に見えることが重要でないと考えるなら、または神が与えてくださった外面的な容姿を手入れしたり、育んでゆくことを霊的でないと考えるなら、それは自分を軽んじる行為だ。だからナオミはルツにとても実際的な提案をしている。ボアズに対して自分が魅力的になる大切な時間を使いなさいと。

 

ずいぶん前に我々の教会で、妻と何人かの女性が女性のための伝道集会をしたとき、ファッションについて話をした。どのように着こなすか、ヘアスタイルをどうするか、化粧をどうするかなどである。妻は外面的な手入れを箴言31章の敬虔な女性の内面的な美と関連付けた。このイベントは、納屋の化粧直しと呼ばれた。「必要なら納屋の化粧直しをしろ」という古い格言に言及したものだ。ユーモアに富んでいるが、敬虔な言い方で「自分の手入れをしろ」と言っている。

 

ボアズに対しルツがどのように自分の存在を伝えればよいかナオミはルツに教えている。ナオミは、相手に気をもませて、お高く留まらないようにと助言している。控えめで純潔であるべきだし、押し付けがましくなったり、積極的になりすぎたりしても駄目だが、同時にはっきりと自分の存在を伝えなければならない。

 

主を愛する独身者でとても魅力的な人たちで、内面的な特質と外見のルックスもよい人でも、まったく自分の存在を伝えないことがある。隠れてしまうのだ。まるで神が結婚相手を天から降らせて、玄関に置いてくださることを期待しているかのようだ。ナオミはルツにボアズのようなすばらしい男性に、自分の存在を伝えるように賢明な助言をしている。

 

服従するルツ

 

こうして、彼女(ルツ)は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。(3:6-8

 

ここの箇所はユダヤ文化の中にある独特な慣習に言及しているので、説明の必要がある。

 

 もしあなたがボアズだったら、真夜中に目が覚めて、足元に女性が横たわっているのを見つけたら、とてもびっくりすることだろう!ここに性的な意味合いは全くないことを理解していただきたい。これはセンセーショナルな光景でも、性欲をそそるようなものでも全くない。スキャンダルまみれの我々の社会では、この光景を深読みしたいかもしれないが、そうしないで欲しい。なぜなら実際、これは純潔な美しい情景だからだ。事実、これは当時のユダヤ文化において至極適切な求婚の儀式だった。

 

彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」(3:9

 

 ユダヤの律法では、もし男が死ねばその男の一番近い親戚がその男と未亡人のために子孫をもうけるとされていた。この律法は、イスラエルの中で死に絶えることがなく、家名が永続することを意図したものだった。申命記25章5−6節にはこう書かれている。「兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。その夫の兄弟がその女のところに、はいり、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。」

 

ルツは、ナオミの指示でボアズに自分の存在を知らせ伝えているのだ。「お心でしたら私を覆ってください。あなたは私の近い親戚なのですから。もし私を覆ってくださる気持ちがあるなら、あなたが私を買い戻し、結婚してくださるなら、私はここにおります。」

 

この喜んで覆ってもらう、服従することは、女性の魅力的な特質の一つだ。つまり、夫のリーダーシップや権威の下に進んで入ることを意味する。創世記3章16節の一部にこう書かれている。「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」第一コリント11章3節にはこう書かれている。「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。」

 

男を無気力にさせるもの

 

ボアズのような人にとって、自分の妻が喜んで自分のリーダーシップの下にいたいと思うことを知ることはとても魅力的であり、かつとても謙遜にさせられることだ。自分が興味のある女性が、自分を家の頭と認め、自分のリーダーシップの下で喜んで覆われようとしていることを知るのは、独身男性にとってとても魅力的だ。

 

同様に、家の頭になる権利をめぐり妻と戦わなければならないと感じるとき、男性はとても無気力にさせられる。神がお与えになった役割を妻と争うことは男を弱くさせる。だから、女性が喜んで覆われることを望み、「あなたが家の頭、指導者、保護者になってください。」というなら、それはとても魅力的だ。

 

箴言14章1節から鋭い観察を得られる。「知恵のある女は自分の家を建て、愚かな女は自分の手でこれをこわす。」悲しいかな、この家を壊すことは、夫が家の頭の役割を果たすことを妻が拒否した結果であるかもしれない。


自己チェック

 

この章で、教会においても世の中においても意見が分かれる可能性のある二つのテーマについて話した。それは、内面の美に対し、外面の美と服従についてだ。

 

1.服装や着こなしについての神の指針はとても一般的なものだ。クリスチャン女性の服装は、「つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく(第一テモテ2:9)」とある。つまり、クリスチャン女性は、挑発的あるいは際どい、突飛な服を着ることで不必要に自分に関心を引かせるべきではないということだ。

 

だからといって、さえない、ぱっとしない、センスの悪い、一般社会のファッションからあまりにかけ離れて、場違いで目立ってしまうような着こなしをしなければいけないということではない。肌の露出度が高いもの、風変わりなものでなくてもファッション性のある服がある。

 

a.  すべての人に

 

内面の美と外面の美のバランスはどの点か。

 

 

 

 

b.  女性に

 

内面の美と外面の美のどちらにすぐ気を使ってしまうか。

もっとこの二つのバランスを取るには、何を変えればいいか。

 

 

 

 

c. 男性へ

 

内面の美と外面の美のうちどちらが魅力的か。その選択をする動機付けは何だと思うか。

 

 

 

 

2.ルツはボアズに自分の存在を伝える前にまず、ナオミに対して自分の存在を伝えた。ナオミの幸福を追求し、心からナオミに仕えた。ルツがこのようにナオミの面倒を見る中で、ナオミはルツ自身の人生に一番良い影響を与える指示を与えた。

 

マタイ6章にはイエスが我々に対し、自分たちの地上での必要を愛する天の父にゆだねるよう勧めておられることが記録されている。イエスは我々にこう仰せられる。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 (33節)」

 

a.ルツがナオミに自らを省みない献身的態度で仕えたと同じように、あなたはお仕えすることができる自分がいることを主にお伝えてしているか。

 

 

 

 

b.あなたは志を同じくする人たちと接触できるような活動に関わっているか。例えば、家庭集会や、教会での一品持ち寄り愛餐会や外出のイベント(スポーツ、観劇・鑑賞、レクリエーションなど)。

 

 

 

 

c.あなたが主に仕え、主をあがめ、他の人のために自分の時間を使うような場所や状況に自分の身をおくとき、神が自分の必要を満たしてくださると信頼することができるか。

 

 

 

 

d.もし、なかなか信頼することができないなら、この方面で自分の信仰を強くするために着手できることを何か思い付くことがないか。

 

3.今日、服従は教会の中で意見が分かれるテーマだ。覆われるという考え、または聖書の意味する、女性が夫に服従する考えが何かを理解できない人は、強制または抑圧の観点で考えている。しかし、聖書で言う服従は強制的な服従ではない。それは明け渡すという応答の行為だ。弱い立場ではなく強い立場から自発的になされるものだ。女性は主に信頼し、夫に信頼するが、それは強制されてではなく、自ら選んでそうするのだ。

 

a. 服従について、妻の課題にはどのようなものがあるか。

 

 

 

 

b. 服従について、夫の課題にはどのようなものがあるか。

 

 

 

 

c. 妻が夫に従うことが、妻が夫を支えることをどのように表しているか。

 

 

 

 

c.  妻が夫に従うとき、その行為の本当の受益者は誰か。彼女自身か、夫か、それとも主か。自分の答えを説明せよ。

 

 

 

 

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