正しい選択 −結婚相手を選ぶにあたって神の御心を見分けるには   タイトル・ページへ

ビル・ストーンブレーカー著

 

第3章

 

しかし神には計画がある

 

これからルツとボアズ、二人の主人公のとてもすばらしい特質を発見するすてきな旅に出かけようとしている。では、ルツ記1章を読み始めよう。

 

さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、・・・(1:1-2

 

マフロンキルヨンという名前の文字通りの意味は、「病気がち」と「発育不全」だ。その当時、両親は誕生にまつわる状況にちなんだ名前を子供につけた。例えば、イサクの妻リベカは双子を身ごもり大変だったが、主がリベカにこう言われた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。(創世記25:23)」兄弟が生まれたとき、兄はけむくじゃらな子が出てきたので、エサウと名づけられた。その意味は「毛深い」だ。次にヤコブが出てきた。その意味は「かかとをつかむ」だ。このような名前が付けられたのは、兄のかかとをつかんでいたからだ。

 

というわけで、マフロンとキルヨンが生まれたとき二人の健康はそう芳しくなかったことが推測できる。二人は、どちらかというと健康そうには見えなかったので、それぞれ「病気がち」と「発育不全」と名づけられた。

 

エリメレクとその家族はベツレヘムの出だった。ベツレヘムの意味は、「パンの場所」あるいは「パンの家」だ。しかし、その時そこは飢饉の場所と化していた。なぜか。神は、御自分の民をその反抗と背教のゆえに裁かれていた。それで、エリメレクは別の場所に移ることにした、そこでは食べ物を見つけることができるかもしれないと思ったからだ。そこで、エリメレクは自分の家族を、異邦人の土地モアブへ導いた。

 

ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。(1:3-5

 

家族がモアブに移っていかほどか時間がたった後、エリメレクは死んだ。ナオミには二人の息子が残されていたので、「病気がち」と「発育不全」と結婚してくれるモアブ人の女を探し当てた。少し経って二人の息子が死んだ。生まれた時から病弱であったことを鑑みれば、想像に難くない。このためナオミは、自分の夫を失っただけでなく二人の息子も失う苦しみを通った。

 

ナオミにとって明らかに非常に困難な時であった。神がベツレヘムを裁かれたので、ナオミは新しい土地へ行き、そこへ行くと夫と二人の息子が死んだ。彼女は大変な試練を通っていた。家族をモアブへ連れていったとき、おそらくエリメレクは、神の導きではなく自分で行ったのであろう。そして今ナオミは、その結果を刈り取っていた。幸いにも神の主権は良くない決断を覆すことができる。

 

そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。(1:6-7

 

ナオミのつらい決断

 

今やナオミは天涯孤独になってしまった。このとてもつらい時に、二人の義理の娘から慰めと力を受けた。もしかすると静かに苦しみに耐えたのかもしれないが、彼女の表情からその痛みは明らかだった。自分のふるさとベツレヘムに戻ろうと考えた。二人のモアブ人の義理の娘が通るであろう困難を考えて、ナオミは二人に言った。「自分の母の家に帰ればいいじゃないの。まだ若いんだし。自分の国の人との再婚の可能性もあるじゃないの。」

 

そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」(1:8-13

 

ナオミの言わんとしていたのは、こうだ。「私についてきたら大変になるよ。ユダヤ人の習慣だと、血縁結婚をせざるを得ないし、あなたが結婚するような子は私にはもはやない。ぐずぐずしないで。たとえもし私がもっと息子を生むことができたとしても、その子が結婚するほど大きくなるまで待つのは非現実的です。実家に戻って、自分の故郷で新しい夫を探しなさい。」

 

失意の中にありはしたが、ナオミの生活を通して神は働いておられた。あまりの傷、痛みのためにそのときナオミは神の御手を見ていなかった。

 

がっかりすることばかり起きると、よくそうなる。失望のどん底にいるとき、神の働きを見ることは難しい。自分の目のまん前にあれば、1円玉でさえ太陽を見えなくする。これと同じで、自分の問題が神を締め出すことがある。しかし本当は、太陽のsunも御子のSonもどんな1円玉や問題よりもずっと大きいのだ。すべては、どんな視点で観るかだ。

 

試練の時には、とかく悲観的になったり不信仰になったりしがちだ。自分の状況は絶対変わらない、自分にとって事態が好転することは決してないと思い込んでしまう。神に信頼することをやめてしまうと、文字通り、心配で病気になってしまう。こんな言い回しがある。「不安はロッキングチェアーのようなものだ。乗せられても、何の前進もない!」

 

ちょうどナオミのように失望が押し寄せてきたら、こう考えることもできる。「すべて自分に不利なことばかりが起きている。何も自分に、益になることは起きていない。」と。しかし、それは間違っている。人生の一番深く暗い試練の中を通っているのかもしれない、まったく何の希望もないように見えるかもしれないが、もしあなたが神の子供であり神を信頼しているのなら、神は計画をお持ちなのだ!


自己チェック

 

誰でもクリスチャン生活の中でがっかりし、落ち込む時、あるいは落胆や失望の状態のときがある。調子がよくない時があるのは何も悪いことではない。問題はそれをどう対処するかだ。

 

そんな苦しい時に限って、大切な決断をしなくてはならないことが多い。教会の指導者やその他成熟した信者を通して、主の御心を求め、御言葉を求め祈ることで、神が私たちの人生に計画を持っておられることを確認することができる。

 

1.人生で難しい決断をしなければならなかったことを話しなさい。どのような方法を取ったか。

 

 

 

 

2.がっかりした時どうするか。

 

 

 

 

3.がっかりした時どうすべきか。

 

 

 

 

4.人は失望から自分の身を守ることができるのだろうか。

 

もしできるなら、どのようにするのか。もし、できないならなぜか。

 

 

 

 

 

 

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