イエスはこう言いました。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」(マタイ19:14)
子どもたちは賜物である
聖書では子どもたちは主の賜物であり、報酬であると言っています(詩篇127:3)。神はクリスチャンである親たちに対し、子どもたちを主の教育と訓戒によって育てるという大きな責任を与えました(エペソ6:4)。神は親たちに、子どもたちの人生の早い時期にイエスキリストにしっかりと基礎を築かせるようにするという務めを課しています。
なぜ子どもがささげられるべきなのか
この責任の観点から見ると、献児式は実は「家族を捧げる式」です。家族全員がこの責任を果たす力を与えられるようその家族全体のために祈る必要があります。
聖書には、子どもを神にささげる例としてハンナの話が書かれています(1サムエル1:11、26-28)。ハンナは子どもができなかったため主の前で泣きました。泣きながら、ハンナは主に誓いを立てて言いました。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。」(1サムエル1:11、下線追加)。
神はハンナの願いを敬い、サムエルという名の息子を与えました。ハンナは自分の誓いを守り、サムエルを主に捧げました。捧げる、とは主のために分け隔つ、という意味です。
献児式で子どもを捧げるための条件
献児式で子どもを主に捧げる、ということは自分の子どもを完全に主の御心に任せ、その子を主の道において育てる誓いを立てることです。
イエスキリストを救い主として、そして主として信じていない親たちは自分の子どもを神の御心と神の道にゆだねることができません。これは、親自身が主の道を知らないからです。ですから、主を信じない親たちが献児式で子どもを主に捧げたいという希望を伝えてきても、私たちはそれに応じることができません。そういった親たちの希望に沿えないのは、その人たちを拒むというよりも守るためです。というのは、その人たちが神に対する誓いを守れないと私たちにわかっていながら誓いを立てさせることはできないからです。聖書には「軽々しく、聖なるささげ物をすると言い、誓願を立てて後に、それを考え直す者は、わなにかかっている人だ。」とあります(箴言20:25)。聖書には、神に対する誓いを破った人たちに対して神が厳しく対処した例も記されています(例えば使徒5:1-11)。親は自分がクリスチャンであれば、自分の妻や夫がクリスチャンでなくても子どもを主に捧げてよいです。未婚の親が自分の子どもを主に捧げる際には、その人の彼氏または彼女が献児式に臨まなくても構いません。
クリスチャンとしての親の責任
クリスチャンである親たちは、自分の子どもがイエスキリストとの関係について自分で選択できるようになるまで 子どもを神に「聖別する」ことに尽力すべきです。献児式で子どもを捧げることにより、親たちは自分のやりかたでではなく主の道で子どもを育てるという誓いを立てます。親たちはこの約束を責任としてとらえ、それを果たすためにできること全てをしなければなりません。
神がクリスチャンである親たちに対して課す責任としては、常に自分の子どものために祈ること(ヨブ1:5)、子どもたちを行くべき道に教育すること(箴言22:6)、神を愛するものとしての模範を示すこと(箴言20:7)、主が私たちを戒めるように子どもたちを戒めること(箴言29:15、17; 13:24)などがあります。こういった責任はキリストに強められることによってのみ(ピリピ4:13)果たすことができます。
親として自分を主に委ねていくことで、もしくはそうしないことで、次の世代に多大な影響を及ぼします。あなたの後に来る世代が神を愛する世代でありますように。